投稿者プロフィール

三尾洋介

1977年生まれ。飛騨高山出身。
大学では経営学を専攻し、卒業後は視野を広げるため多民族国家であるオーストラリアへ。
1年間過ごしたオーストラリアでは、様々な人や文化との出会い、他国で自ら道を切り開いている人達から多くの刺激をうけ、帰国後は、子供の頃からの夢であったお笑い芸人の道へ進む事を決意する。
「お笑い芸人ってどうやってなるの?」という初歩的な疑問からはじまった道だが、あこがれの有名芸人が所属する事務所のオーディションを受け、奇跡的に通過。
深く考えずにまず体が動く身軽さだけはこの頃からあった。それはラッキーだったのかもしれない。
希望する事務所に所属できたことは小さな自信にはなるが、それはやっとスタートラインに立ったまでのこと。
そこから様々な経験、学びがあり、ちょっと恐い裏の世界もたくさん見る。
芸人としての活動では、クリエイティブな作品を生み出す多くの芸人(アーティスト)たちとの出会いに恵まれ、”お笑いはアートであり、芸人はアーティストである”と、そのことを今、なおさら強く実感する。
絵画などのアーティスト達の世界と同様に、芸人も、いわゆる”センスがある”と評価される人、”センスがない”とされる人がいるが、不思議なことに、”ビジネスになる人” ”ビジネスにならない人”、というのはこのセンスの評価とは必ずしも比例していない事に気づき、これもビジネスに興味をもちはじめたきっかけの一つとなる。
クリエイティブな作品を生み出す人、ビジネスとしても成功する人達との関りから多くを学ぶ。
彼らの本質を見る目、日々の過ごし方、作品の生み出し方を間近で見てきた芸人としての経験の全てが、後にビジネスを行うための学びとなる。
芸人、アーティストを何か特殊な別世界のように捉えていた感覚はいつのまにか払拭され、すべての職業は創造的であると考えはじめ、”芸人”というカテゴリに限定されない、より広い世界で、自分の表現の場を見つけようと、営業、デザイナー、管理、など様々な経験を経たのち、起業家としての世界へ踏み込む。(と、それは言い訳で、テレビの番組枠を争うという狭い世界での過酷な争いに挑み続ける自信がなかっただけかもしれない・・・)
どのジャンルの職業も、事業も創造的になり得ると考えていたため、起業当初は”アート”に限定した事業を考えていたわけではなかったが、愛新覚羅溥儀(中国ラストエンペラー)の甥である画家 王昭氏と出会い、作品の販売をさせてもらった事が、アート事業をはじめるきっかけとなる。
アート事業をはじめると他の画家とのご縁も生まれ、作品販売から、アート講座事業へも展開する。
1つめに代表理事として設立したアートクラフト団体、一般社団法人 日本彫紙アート協会は、設立から約3年で会員数1000人以上の団体にし、全国に約60校の教室を誕生させ、年商1000万円を超える認定教室も誕生した。認定講師は300名以上を輩出。
また、彫紙アートの書籍を出版し、日本だけでなく、芸術文化大国フランスの出版社からも出版されるなど、注目を集めた。
協会アワード2013ではその教材開発力が認められ、教材開発部門賞を受賞している。
講座のプロモーションをアーティスト個人のプロモーションにつなげるビジネスモデルを実践し、
アーティストにはテレビ取材も多く入り、1回の個展で数百万円の作品販売に至ったケースもあった。
現在は、より多くのアートを広め、アーティスト達を支援するため、一般社団法人 日本彫紙アート協会を譲渡し、新たに一般社団法人 日本アート教育振興会を設立し代表理事を務める。
その講座開発力を活かし、様々なアーティスト達と協力し、デッサン、写真、画力など、アート講座、アートツアーなどを展開。
体験クラスへ年間2000人以上のお申込が発生するなど、人気講座、プログラムを展開している。
また、素晴らしい作品をつくっても、まったくビジネスを知らないがために上手く活動できていないアーティスト達をサポートするために、アーティスト達の為のビジネス講座も提供している。
活躍中の現役アーティスト、カメラマン、ライフコーチなど、様々な専門家、講師と共に力を合わせアーティスト達が自由な発想、自由な生活を手に入れるためのビジネススキルを教えている。
いずれの講座も受講生が受け身ではなく、ワクワクしながら能動的に学べる環境をつくることに尽力している。
そこには、”パパ業”として子育てにも尽力している一児の父としての視点や発想、遊び心もふんだんに盛り込まれている。
”人は、楽しんでいる時にこそ一番学ぶ”。という事を常に身近で体感しながら、教育プログラムを生み出している。