井の中の蛙

LBERAL ARTS(芸術教養)

From:三尾洋介

お昼にうどんを食べたくて、茹でていました。

茹でる間に、ひまだったので、ネットをみてたら、

とても興味深い記事を読みました。

きづいたら、1時間くらいたっていて、うどんがお餅のようになってしまいました。

その記事はこんなものでした。

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アートもサイエンスも、その言葉から私たち日本人が思い浮かべることと、

アメリカ人が思い浮かべることは違うではないかと気がついた。

どうやら、アートは芸術ではない。

サイエンスも理科や科学ではないということに、私は、あるとき気がついた。

日本人の的外れな「リベラルアーツ論」
リベラルアーツとは何か(上)より。

記事全文はこちら ⇒ 日本人の的外れな「リベラルアーツ論」 リベラルアーツとは何か(上)

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この記事とてもわかりやすくて、勉強になりました。

ぼくは、井の中の蛙だったなと。

日本にいたら、日本だけ通用していることって多いですよね。

世界では大学の心理学部や経済学部はサイエンスの分野のほうに入っているのに、日本では文系学部にはいっていたり。

これらは欧米から来たんだと思っていたので欧米も一緒だと思ってたけど、これは日本だけみたいですね。

ものによっては日本独特の文化になじむからそれはそれで良いこともあるけれど、
この記事にかいてあるようにグローバル化を叫ぶのなら、
大学教育は日本の良さを残すことは徹底しつつ、
学問体系は世界基準に合わせることも重要なことだと思います。
ほんとうは、日本の子供たちも、日本にいながらも
常に「世界中のいろんな文化背景をもった人達とふれる環境」があったらいいけれど、日本では中々難しい。
日本でそんな環境をつくれたら価値は高い。

インターナショナルもその一つだと思います。インターナショナルスクールは、英語が身につくから良い、ということもありますが、それ以上に世界中のいろんな文化背景をもった人達とふれる環境があることで、抽象度の高い視点をもてるようになるのではないかと思います。(主観ですが。)
価値の多様性を自然と感じ、モノや自分、相手にたいして尊重できる大人になれる気がします。(これも完全に僕の主観ですが。)
一つのものさしでだけでは、意味がないということを実感できるのだとおもいます。それは、英語を身につけられるという事以上に、大きな価値があるとおもいます。(もちろんこれも完全に僕の主観です。)

もちろんインターナショナルスクールにもデメリットもあると思いますし、インターナショナルスクールではない学校もたくさんのメリットや良い事があると思いますが、今の日本の中で子供たちが世界の人達と日々毎日接することができるのはインターナショナルスクールではないかと思います。そういったことから、今は公立の学校もインターナショナルクラスが設置されてきたりしています。僕はインターナショナルスクールを運営しているわけでもありませんし、なにか宣伝料をもらっているわけでもありませんが、ただ、僕を含む日本人がもっとたくさんの価値観にふれられたら、自分のことや日本のことにより誇りを持て、相手のことも尊ぶことができるようになり、より平和になりそうだなと思っているだけです。

大学も名のある「○○大学をでている」と言われるよりも、「工学部でしたが、クラスメイトが半部以上、外国人でした」といわれたほうが、すでに今、興味をそそられる。

そのうち日本の大きな企業でも就職のときには、そういった大学名にしばられない価値観が固定化されていない評価基準にかわっていくのかもしれない。

とはいえ、いっぺんに全部をかえることはできないから、

できるとすれば、まずは、個人個人がそれぞれ自分は、井の中の蛙になっていることに「気づく」ことかもしれない。

井の中が熱々の熱湯ならば飛び出ることはできるけど、快適なお風呂のような湯温だとしたら茹でガエルになってしまう。

気をつけなければ。。。
ぼくのお昼のうどんのようにならないように。

三尾洋介

1977年生まれ、飛騨高山出身。一般社団法人日本アート教育振興会代表。 人々が自由になるための学習環境デザイン、研究をしている。 また、アート・文化と感情を...

プロフィール

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